北摂にて

日々の暮らしの中に楽しみを見つけながら・・・

立春

立春を迎え、昨日と今日は幾分暖かかったですが、出かけるときは、少し迷いながらもやはりダウンコートに腕を通します。が、ベランダのせっかちな数匹のメダカは冬眠から目覚めたようです。

大阪・曽根崎・お初天神(露天神社)

初天神露天神社

お初天神境内(曽根崎心中)

初天神境内(曽根崎心中

 

友だちとランチしたあと、曽根崎のお初天神にお参りしました。大阪駅からゆっくり歩いて15分ぐらいです。節分だったので、青鬼と赤鬼、お雛様とお内裏様、曽根崎心中の徳兵衛さんとお初さんの顔出し看板?まであって、賑やかでした。

前はなかったのですよね。もっと地味なところでした。この日は観光客の団体やテレビカメラ?もあって、そういえば、先月行った京都の伏見稲荷もずいぶん観光客向けというか、賑やかになって、以前とはかなり違う場所になっていました。

お初天神境内(節分・赤鬼青鬼

初天神境内(節分)

バニー氏

夫のことをどこまで書こうか迷っているので筆が進みません。

 

夫がガラケーからスマホに変えたのは亡くなる前年の4月でした。

遅いです。会社でパソコンを使ってはいてもスマホには慣れていなかったしアナログな人だったので

スマホにはパスワードも指紋認証もかかっていませんでした。

メールの内容はダダ漏れ。電話の履歴然り。

 

 

iPhoneではないのでよくわからない点もあったのですが……

ショートメールを見ていたらLINEを入れようとした形跡がありました。

でもできなかったみたい。

 

ふと、じゃあ、私がやってみようと……

 

私のスマホは主にWIFIで使うことを前提に契約しているので

WIFIが通っていない夫の家にいる間は夫のを使った方が料金がかかりません。

夫は固定電話を解約してしまっていたし。

電話はLINEにしようと⋯⋯。

 

LINEを立ち上げショートメールに届いた認証を使うと

すぐにズラズラと電話帳に登録してある人が画面に表示されましたが、

その時は、そのままスマホを閉じました。

 

その翌日だったか翌々日だったか

何人かからメッセージが入っていました。

男性は一人だけ。知っている名前でしたが、私は面識がない人でした。

 

ある女性からは「普段は家にいるので連絡できません」と。

スルー(笑

「入院しているのですか?心配しています」というのもありました。

でも、知らない女性なのでこれもスルー。

 

目を引いたのが「バニー氏ですか?」でした。

夫がバニーガールの格好で遊んでいた?のを知っている人でした。

ほほぅ……そう呼ばれていたのね。

 

結局、LINEでメッセージをくれた人たちとの関係が

一人を除いて分からないのでそのままにしています。

夫のスマホはすぐに解約したので

いまは手元にあって、オンラインゲームに使うぐらいです。

 

今年のお正月、夫の小、中学校時代の同級生から年賀状が届きました。

一枚だけです。

世田谷の住所宛のものが転送されてきました。

それが、名前だけ知っているLINEの男性です。

 

事情を知らせるべきか迷っています。

毎年年賀状をくれていた人で、夫が地元に帰ってからは

同窓会や、その延長の旅行などを楽しんでいた仲間の一人のはずです。

ただ、年賀状の住所を見ると、ごく近い場所です。

同じ通りなのではと思うほどなので、

実は、知らせなくてもいずれ伝わると思っていました。

 

遺品のなかに、その人からもらった過去の年賀状もありました。

いえ、夫がバニー氏だからといって、

その人との関係を疑っているわけではありません(笑

他に女性の同窓生の存在があります。

 

 

妻の立場を主張するつもりなど

微塵もないのですが、

なぜでしょう? 

その年賀状の男性に連絡すると

女性に知らせるはずなので、それには抵抗感があるのですよね。

 

スマホに残された最後の通話履歴は推定死亡日で、

電話の相手はその女性でした。

 

ちなみに、夫の帰阪はこの25年で数回でした。

 

 

追記

もうまるでミステリーですよね(笑

同人誌は休会中ですが、ミステリーで再デビューしようかと本気で思ったりしています。

それから、夫の帰阪が少なかったことについては、別の小説になります(笑

東京ノスタルジー

主人の家は、世田谷といってもうんと昔からなので、普通の家?でした。何せ、1964年の東京オリンピックでアベべが裸足で環七を走るのを見たと言うのが、主人の自慢でしたので(笑 で、舅がごはんを食べに連れていってくれるのはいつも三軒茶屋。主人とのデートもたいてい三軒茶屋ときどき渋谷。

三軒茶屋の歩道上の四角い金属プレート(2種のうち三軒の茶屋がデザインされている方)

三軒茶屋の歩道のプレート(マンホールではないと思う)

三軒茶屋へいくと息子たちは「むかし三軒の茶屋があったから三軒茶屋なんだよって、パパいつも言ってたね」と言います。以前はこんなプレートはなかったので「ホントだったんだね〜」と笑っていました。

三軒茶屋の歩道上の四角い金属プレート(一
軒の茶屋の中に数人の客がいる方)

三軒茶屋の歩道のプレート

三軒茶屋から世田谷線で帰ります。久しぶりに乗ったのはキレイな黄色い車輌でした( 以前は緑色の古い車輌しか走っていなかった)。いまはいろんなのが走っています。

世田谷線の黄色い車輌

世田谷線

お天気がいい日は、いまは暗渠になっている川の跡が遊歩道になっているので、テクテク歩いて帰ります。そういえば、むかしは下北沢へも歩いていったものです。結婚当初、私たちも世田谷線沿線に住んでいました。主人の同級生が代官山に住んでいたので、そこへも渋谷から歩いたりしました。いつからか、普通の人は暮らしていないような町になりました⋯⋯

遊歩道

川が暗渠になりいまは遊歩道に

歩いているとマンホールや鉄製の格子タイプの蓋?の近くでは水が流れる音が聞こえます。立ち止まって覗きたくなったり⋯⋯(笑

 

この付近にむかしは水車があったんでしょうね

今回の東京行きは、家の処分とともに昔を懐かしむ旅になりました。夫に対する惜別の情⋯⋯いえ、少し違います(笑 東京ノスタルジー? 続きは明日にします。長くなりました。