北摂にて

日々の暮らしの中に楽しみを見つけながら・・・

クリスマスマーケットの旅(続き)

リヨン2連泊のあと、バスで北東部のアルザス地方へ向かいました(最終日のプラハまでチェコのバス)。バスは厳重にシステム管理されていて、運転手さんの休憩時間や一日の運転時間も制限があるので(日本もユーロのシステムを取り入れるべき)、途中でジレジョーヌ(黄色いベスト運動)の人たちが道をふさいでいたときは、どうなるかと思いました。

が、運動家の人たちも、国民に反感を持たれては意味がないので、長い時間通せんぼせずに通してくれました。

ジレ・ジョーヌ

野宿中のジレジョーヌの人たち

コルマールまでもうすぐです。翌日行く予定だったストラスブールで前の夜遅くにテロがあり、犯人が逃走中のためストラスブールはクリスマスマーケットが閉鎖というニュースを聞きました。残念ですが、代わりにフランスの「美しい村」に選ばれている村へ連れていってくれるそうなので、まあ、それも楽しみだなと・・・。

代わりの「美しい村」はエギスハイムとカイゼルベルクでした。アルザス地方はドイツとフランスの文化が混ざり合ったところです。読み方も仏語読みや独語読みといろいろな呼ばれ方があります。リクヴィールは最初から旅程に入っていた村ですが、ワイン街道沿いにあって、村が近づくにつれてぶどう畑だらけになっていきました。

コルマールに近いぶどう畑

コルマールに近いぶどう畑

↑走っているバスの窓から撮ったので鮮明ではないですが・・・    続く

クリッペ(キリスト誕生のシーン)
コウノトリの巣
コウノトリいた!
これは何を撮ったのだったか・・・わたし?(笑

写真左から・・・(1)エギスハイムのある家のクリッペ(キリスト誕生のシーン)(2)コウノトリの巣(3)また春に帰ってくる・・・と思ったらいた!(4)これは何を撮ったのだったか・・・

フランス・アルザス地方のクリスマスマーケット

コルマール/プフィスタの家

コルマール/プフィスタの家

12月中旬にフランスのリヨンとアルザス地方、ドイツのニュルンベルクチェコプラハのクリスマスマーケット巡りをしてきました。いつもの高校の同期も一緒にいく予定だったのですが、母上の様子がちょっとおかしくて(身体はお元気な様子)、私はお一人様となりました。

今回の旅行会社は旅に慣れた人が多く、添乗員さんも評判のいい方なので(母が何度か利用している)一人参加でも不安はありませんでした。ただ一つだけ、どれほど寒いか想像がつかないので、最後の最後まで靴に悩みました(で、スノーブーツにして、予備にもう一足用意しました)。

結論を先に言うと、8日間、雨も雪も降らず、夜はさすがに少し冷えましたが、靴用のカイロがあったので問題ありませんでした。予備の靴も使わずに済みました。添乗員さん曰く、「晴れ女さんのお陰で、こんなにお天気に恵まれたクリスマスマーケットツアーは初めてです」とのことでした。私も晴れ女です(笑

リヨンは後日書くことにして、アルザス地方から始めたいと思います。リヨンは、いつか必ず行きたいと、ずっと思っていた街ですが、クリスマスマーケットに関しては、断然アルザス地方ですから、なるべく冷めないうちに・・・(笑

3日目の朝、リヨンを出発してバスでコルマールへ。コルマールも楽しみにしていました。木骨造りの仏語で「コロンバージュ」と呼ばれる中世の家並みが美しい町です。ドイツのローテンブルクを思い出します。-続く-

 

コルマール

コルマール/木骨造りの家
コルマール/木骨造りの家
コルマール/運河沿い(プチヴニーズ)

 

夜はさらに綺麗です。

コルマール/夜
コルマール/教会
コルマール/クリスマスメーケット

 

コルマール/ミニ観覧車
コルマール/ミニ観覧車
コルマール/クリスマスマーケット

 

平成最後の…


f:id:shono1997:20190105013130j:image
今年もよろしくお願いします。

さて、昨年の終わりあたりからやたらと「平成最後の◯◯」が増えました。まるで枕詞のようです。他にテーマはないのかと思ったりします。

が、最近、「平成」を意識する若者が増えたと感じています。

というのも、仕事で電話を受けると本人確認をするのですが、若い子に「生年月日を昭和か平成で(和暦という言葉が通じない)」と前置きするのに10人のうち少なくとも2人は西暦で言うのが面倒でした。(今どきは学校に提出する書類なんかも西暦になっている?)

ところが、昨年12月頃から、つまり世間で「平成最後の◯◯」が増え始めてから、西暦で答える子がいなくなったのですよね。不思議です。

「平成生まれ」を強く意識するようになったということでしょうか? そのうち新しい元号生まれの子が増えると「ほぉー◯◯生まれか…」などと、自分たちが庇護されていた時代?を懐かしむようになるのでしょうか…

(ちやほやされていたと書きかけて、いやいやそれは昭和生まれ側の意識であろうと…)